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体験談

過呼吸症、うつ病

(K・T氏/男性・当時29歳/会社員)

両親の期待がストレスに。「集団療法」で新しい自分の可能性を発見した

【症状】

私がうつ病を発症したのは、大手電機メーカー入社後三年目の春でした。営業の仕事で、昼も夜もなく働きづめの生活が引き金だったようです。

最初におかしいと感じたのは、顧客との打ち合わせの時です。まず動悸、次第に冷や汗が出てきました。外回りに出ると、重い塊にのしかかられるように胸が息苦しくなりました。周囲も私の異変に気づき、病院行きをすすめられましたが、休めば得意先を逃してしまうのが不安で、病院には行きませんでした。しかし、これが結果的に会社を辞める要因になったのです。

ある日、お得意様を訪ねようと電車に乗った時のこと。急に動悸が激しくなり、胸が波打つような痛みに襲われました。呼吸のリズムが狂い、息が止まりそうな胸苦しさを感じ、倒れ込んでしまいました。気づくと病院のベッドの上にいて、「過呼吸症で救急車で運ばれたんだよ。ストレスと過労が原因だ。当分療養しなさい」と医師に告げられたのです。過呼吸症とは、精神的ストレスで呼吸困難になる状態だそうです。念のため受けた精密検査では、呼吸器や心臓の異常はありませんでした。

医師のすすめで神経科を受診すると、「うつ病」との診断。医師にうつ病の主症状を聞くと、確かに当てはまるものばかりでした。数ヶ月前から、疲れているのに寝つきが悪く、早朝には決まって一度目が覚めるのです。入社三年目で仕事の責任が大きくなり、神経が高ぶっているせいにしていましたが、実は、不眠症と、早朝覚醒といううつ病の症状だろうと医師は言います。他にも食欲がなく、数キロ痩せたことや、疲労感が強く休日はほとんど布団の中で過ごしていたのも、うつ病のしわざだろうということでした。

医師に一ヶ月の休職をすすめられましたが、そんなに休めば同僚に負担をかけます。しかも、うつ病を上司が知れば、「精神的に弱い人間」とレッテルを貼られ、出世に響くとの懸念もありました。「絶対に無理をしない」と医師と約束し、一週間休んだだけで職場復帰しました。

ところが、今度は仕事に対する意欲が全く湧かないのです。また、救急車で運ばれた時の記憶がよみがえるため、電車に乗るのが恐くなりました。外回りに行くと偽って、公園で日中を過ごすことが増えていきました。しかし、そのうち発覚し、「どこで油売っているんだ。やる気がないヤツは周囲の迷惑だ!」上司に叱責されても、仕事をする意欲は皆無でした。身も心も自分のものでないかのように、コントロール不能なのです。仕事に追われる生活が空しくなり、とうとう「これ以上会社のお荷物になりたくない」と、退職しました。

将来の目標を失ったそれからの生活は、まさに「灯台を見失った船」でした。真っ暗闇の海をフラフラとさまようような不安と孤独。これらの感情を忘れたくて、酒を飲んでは夜明け頃眠る。しかし、気が晴れるわけもなく、世界からどんどん取り残されて行くような挫折感にさいなまれました。

当初、「病気だからしかたがない」と黙っていた両親も、そんな生活が何ヶ月も続くと、「この先どうするつもりなんだ。病気だからって甘えるんじゃない」と言い出しました。しかし、心身が重く頑丈な鎖に縛られているように身動きできないのです。「人の気も知らず、勝手なこと言うな」、親に理解してもらえない悔しさで、こみ上げてくる涙を止められませんでした。

母が税所先生の本を買ってきたのは、退職後一年が過ぎた頃です。一年間医師の治療を受けても症状は一進一退するのみで、回復しないことにしびれを切らしたのか、少しでも可能性があるのなら試してみてはと、「早起き心身医学研究所」に行ってみるよう勧められたのです。半信半疑で読んだ本の中に、私をひきつける箇所がありました。集団療法です。研究所では、毎週月曜の朝6時半からの「早起き会」や、土曜の午後からの「土曜講演会」などを行なっていると記されていました。集団療法の目的は、同じ悩みを抱える人どうしの交流です。うつ病の苦しみはうつ病になった人しか理解できないほど辛い病気だとよく言われますが、うつ病に悩み、克服しようとしている人と出会えば、その辛さを互いに分かち合うことができるというのです。親にさえ理解されず孤独だった私は、「誰かに話を聞いてほしい」との思いが強く、研究所を訪ねました。

【治療経過・所感】

集団療法で、特に熱心に取り組んだのが「土曜講演会」です。これは、毎回、会員のひとりが壇上で、うつ病体験や、早起き心身健康療法への取り組み方、病気になって感じたことなどを語ります。私が最初に参加した会での講演者は、私と同年代の男性W君でした。

彼は結婚を気に発症したそうです。ふつう新婚時代は、甘い生活を思い描くものですが、幼い頃、両親が不仲だったせいで、円満な家庭を築く自信がなく、家庭を持った責任の重さにとらわれてしまったというのです。抗うつ剤なしでは仕事ができない自分が情けなく、そんな夫を持った妻が不幸に思えた。妻は一緒にがんばろうと言ってくれたが、その優しささえ負担だった。いつしか妻にやつ当たりすることで、鬱積した思いを晴らすようになった、と彼は辛い過去を隠そうともせず、熱心に語りました。

まだうつ病を完全に克服したわけではないけれど、どれだけ時間がかかっても、自分なりの方法で妻と幸せな家庭を築いていきたいと講演を締めくくったW君は、私から見ると健康そのもので、うらやましくさえありました。一日も早く彼のように生きる目標を見出したい。たった一時間弱の講演でしたが、これまで聞いたどんな名言より、W君の話に勇気づけられたのです。

「君の講演、とても参考になったよ」と私が言うと、W君ははにかみながら喫茶店に誘ってくれました。そして、会社を辞めたいきさつや将来の目標を見失った挫折感、病気に対する父親の無理解などを、いつしかW君にすっかり打ち明けていたのです。

「君は完璧主義すぎるんだ。それでは、身体より心が先に疲れちゃうよ。目標を見失ったのなら、また新しい目標を探せばいい」と、W君は言いました。この言葉が「自分らしさ」を探すきっかけとなったのです。

長男として、良い大学、良い会社を目指すよう親に言われ、幼い頃から勉強第一に過ごしてきました。私は両親の期待に応えようと、言われるままに優等生を貫いてきました。社会に出てからも同じで、出世しないと両親が悲しむと、心身がぼろぼろの状態でも休養する勇気がなかったのです。うつ病になったのは、私の初めての挫折でした。

「君は、周囲とうつ病になった自分を責めてばかりいる。僕も初めはそうだったけど、今では、うつ病に苦しんだ期間は、妻と正面から向かい合う強さを身につけるために必要だったと思えるんだ」 W君の言葉は、決して負け惜しみではなく、実感にあふれていました。

うつ病を克服するまでの2年で、私は両親のためではなく、自分のための将来の目標を見出すことができました。それは、子供達に物事を学ぶおもしろさを教えていくこと。私にとって、勉強は受験に勝つための手段でしかありませんでしたが、さまざまなことを知り、考え、解決方法を探っていくことは嫌いではなかったのです。その楽しさを子供達と再び分かち合いたいと、現在、学習塾で講師をしています。

今でも不調な時はありますが、人間であれば、落ち込むことも悩むことも当たり前です。むしろ、そのおかげで新しい自分の可能性が開けました。

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